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1987年6月21日(日) アッツェンブルッグでのチャリティーコンサート

1987年6月21日(日) アッツェンブルッグでのチャリティーコンサート

ウィーンの西方35km程の所にAtzenbruggと言う村がある。
シューベルトの友人で詩人であったショーバーの叔父がAtzenbrugg城の執事であった関係で、シュ一ベルトは1820年~1828年まで毎年夏をその城で過ごしたという。
庭園内の小高い山を登ると、彼がAtzenbruggertänze を作曲した小さなあずま家があった。
なだらかな起伏のある丘や、広々としたや草原に時折り牛や馬の群れが、牧草をはんでいる。
天を突くような教会の尖塔と赤い屋根の家々を眺めながら、曲がりくねったRiederbergを越えるとAtzenbrugg城に着く。
どこもかしこも平和でのんびりとした田園風景である。
この城は800年近くもの古い歴史をもつ。
年月を経て建物が大分痛み、崩れてしまったので、1970年代当時の市長が城を取りこわして別の新しいものを造ろうと云いだした。
その時、Frau Schwabという勇気ある婦人が「このシューベルトゆかりの城を守ろう」と、率先して運動をおこし、新聞等で多くの人たちに呼び掛けた。そして寄付金を集め、除々に内部の改造を始めたのだった。
1979年より沢山の演奏家がこわれた城の中て、ギャラなしのコンサートを行い、その入場料で部屋の一つ一つが新たに生まれ変わった。幾つかの部屋は立派な展示室となり、コンサート用ホールの床も美しい寄せ木が張られ、小さなステージも出来上がった。
城の右側の部分はまだがらんどうだがFrau Schwabは、「そのうち芸術家達の宿舎や公開講座などの出来る小さなホールも作りたい」と語っていた。小柄なあまり目立たない人だが、その柔和な眼と強い意思は私たちの心の中に深く刻まれた。

1987年の5月~6月、Festwochen中に、このお城で幾つかのコンサートが開かれた。
H・Preyの独唱会でオープニングを飾り、
私は6月21日(日)午後3時からの演奏会に招かれて、ウィーンの秀れた若い医師達によって作られたParacelsus Quartettと一緒に「鱒」と、ソロで二つの即興曲を演奏した。
大勢の聴衆が集まり、ホールは満席となった。
誰もがシューベルトの音楽を心から愛しているという感じで、コンサートは大変温かい雰囲気に満ちていた。
練習の時は音が響き過ぎると思ったが、人々で一杯になると、理想的な響きになった。
休憩時間には1階の廊下で、村のご婦人達が手製のケーキとコーヒーを売っていた。この売り上げも「シューベルトゆかりの城を守る会」に還元されるのだ。
また、庭には、シェーンプルンにある造園学校の生徒達の設計による「ビーダーマイヤー庭園」が出来つつあった。
図面の中の好きな木を買うと、そこに買った人の名前が書き込まれ、秋になってから植えられるのだ。大変良いアイデアである。
私も記念に、「日本・・・」という名のつく木を、一緒に行った留学生達と買った。私たちが年老いた後、またこの世に存在しなくなってからも、これらの木々は大地に根を張り、成長をし続け、Atzenbrugg城を見守ってくれるのだと思うと何とも楽しい気分になった事を、シューベルトの可愛らしいワルツを演奏し、懐かしく思った。


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