GALLERY ピアノ・音楽・旅

1956年1月31日(火) 6時半開演 共立講堂「大野亮子・渡欧記念ピアノ独奏会」
主催 :毎日新聞社
ウィーンへ留学前、日本での最後のコンサート
ベートヴェン:ソナタ ハ長調 Op.53 「ワルトシュタイン」
ショパン:5つのプレリュード Op.28より・2つの練習曲「‘別れの曲」「木枯らし」・華麗なる円舞曲 変イ長調 Op.34 -1
シューベルト:ソナタ(遺作) イ長調
プロコフィエフ:ソナタ 第3番Op.28・トッカータOp.11
1956年2月6日 羽田空港からウィーンへ出発前。
永井先生、東金から見送りにいらして下さった皆様、両親と
1956年ウィーンの下宿先の御家の主「ムッティー」
本当にお世話になりました。
ムッティーはとても誠実な人で、私に対して親身になって接してくれました。
お料理も上手でした。また当時のウィーンの冬はとても寒く(-25度位)、私が風邪をひかないようにと配色を考えて温かいセーターや帽子を編んでくれました。

1957年~1958年頃
バックハウス夫妻と指揮者からのハガキ
音大でガスタイン賞を受賞し、バートガスタインにてリストのピアノコンチェルト Nr.1を演奏。
翌週、Prof.バックハウスのシューマンのピアノコンチェルトを聴き(幸運な事に、練習と本番を両方聴く事ができたのです。とても勉強になりました。)、ご夫妻の滞在先に招かれ、Prof.の毎日の練習方法をいろいろと教えて頂きました。本当に充実した一時でした。Prof.は毎日様々な調のスケールと分散和音、バッハの平均律を必ず暗譜で弾かれると伺いました。指の体操もテーブルの上で、「2・4→3・5」の指を交互に素早く動かす事を教わりましたが、私は直ぐにはできなかったので、Prof.と思わず笑ってしまいました。
私がその時の写真をお送りし、そのお礼状をバートガスタインの絵葉書でProf.と奥様と指揮者から頂く。
1958年 ブリュッセル万国博覧会
オーストリーのグラスパビリオンで、 国立ウィーン音楽大学で師事した
G.Hinterhofer先生の公開レッスン先生の生徒で2人のアメリカ人と私が選ばれ参加しました
万国博覧会の為にオーストリーのベーゼンドルファー社が 作った朱色のグランドピアノを使用2人のアメリカ人の生徒は N.シェットラーさんで ミュンヘンのコンクール1位
後にP.シュライヤー氏他、著名な歌手の伴奏者として活躍
もう一人は、M.ビルソンさん。後に古楽器奏者として活躍
私たち3人は一緒に卒業試験も受けた
グレーテ・ヒンターホーファー教授
国立ウィーン音楽大学教職30周年記念コンサート
1958年10月25日(土)開演:19時
会場:ムジークフェライン 大ホール 「黄金の間」
共演:指揮)エスターライヒャー N.Ö.トーンキュンストラー・オーケストラ
グレーテ・ヒンターホーファー教授のクラスから 選ばれた4名が演奏致しました
私もリストのコンチェルト・Nr.1を 持てるもの全てを出し切った演奏をし、
それは光栄で嬉しい事でした
幼い頃より何かと応援してくれた音楽好きの親戚の叔父が、 たまたま仕事でデュッセルドルフにおり、
未だ学生だった私がムジークフェラインの大ホールで コンチェルトを弾く事を知ると、
仕事の予定を調整し、 会社のお仲間4〜5人と駆けつけてくれて、 皆様大変喜んで帰国された事も良き思い出です
指揮者のエスターライヒャー教授は、音大で指揮とクラリネットを教えていらっしゃいました。「出演者について」
度々来日され皆様が良くご存知のアーティストですマルコム・ビルソン氏
アメリカの大学で教授となり、古楽器奏者として活躍
ノーマン・シェットラー氏
母校(国立ウィーン音楽大学)の教授
ソロ活動やペーター・シュライヤー氏等の伴奏を務めるインゲ・マイヤーホーファー・
ラングナー氏ショパン国際ピアノコンクールで入賞
そしてこの時指揮をされたKARL・ÖSTERREICHER氏
時が流れ 私が結婚した事をお聞きになり、 大きなバラの花束を贈って下さいました
これも とても嬉しい思い出です

Prof.のコンサート終了後、楽屋にて 1959年6月 Nr.1
毎年5月末~6月末迄開催されるウィーン音楽週間でのProf.W・バックハウスのコンサート終了後。
Prof.の音楽に感動し、いつまでも聴衆が帰る事がなく、少しづつステージの照明を消しながら終わった印象深いコンサート。
1960年
ベーゼンドルファー・コンクールが終わると
会場にいらしたP.B.Skodaさんが寄って来られて
「リッキー、特にバルトークが本当に素晴らしかった‼︎…」と
褒めて下さいました
数日後、その事を新聞へ執筆され
私は嬉しくて、今でもよく覚えております
会場は 楽友協会「ブラームス・ザール」
楽器は勿論、ベーゼンドルファーでした

1960年スイスにて
ウィーン八重奏団とヨーロッパツアー中のプログラム
ヒューブナー氏他、当時のウィーンフィルのメンバーで
コンマス揃いの八重奏団
1960年11月11日
ウィーン デビュー1
1960年11月11日
ウィーン デビュー2
1960年11月11日
ウィーン デビュー3
1960年11月11日
ウィーン デビュー4
1960年11月11日(金)19時30分開演 ムズィークフェライン「ブラームス・ザール」
私のウィーン・デビュー・リサイタル
楽友協会「ブラームス・ザール」
G.ヒンターホーファー先生のお勧めにより開催致しました
12誌全てのオーストリアの新聞で絶賛頂きました
全ての批評が「良かった」と書く事はない!と G.ヒンターホーファー先生は言われ、
それはそれは喜んで下さいました
プログラムは下記の通りでした
Mozart:デュポールの主題による9つの変奏曲
Beethoven:ベートーヴェンC-Dur Op.2 No.3
Bartók:3つのブルレスク
Schubert:即興曲 Op.142 Nr.3 B-Dur
Op142 Nr.4 f-moll
Chopin:プレリュード cis-moll Op.45
Chopin:スケルツオ C-Dur No.3 cis-moll Op.391961年 ショプロン音楽ホール・ハンガリー



コンサートの合間にリストの記念碑の目で記念撮影


1961年5月17日(金) 19時30分開演
ムジークフェライン/ブラームス・ザール 「sonaten abend」
ヴァイオリンニストの岸邊百百雄さんと
モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ G-Dur K.V.379
ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ A-Dur Op.100
ヒンデミット:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Op.31-2
ドビュッシー:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ g-moll Nr.31961年8月4日(金) 20時開演 ALTES RATHAUS (旧市役所) にてコンサートのプログラム




「PALAIS コンサート」は、ウィーンの音楽祭が終わった後、8月に開催されました。旧市役所で私とフィリピン人のヴァイオリンニストCarmencita Lozadaさん(この後、パガニーニ・国際ヴァイオリンコンクールで優勝)が演奏致しました。

1961年9月8日(金) 20時開演
Bad Hofugastein (バート ホーフガスタイン) Kursaal
モーツァルト:ピアノコンチェルト C-Dur K.V.467
ソロで、バッハ・モーツァルト、ラヴェルを演奏


1961年10月9日(月) 20時15分開演 Mujsiksaal
「ジュネーブ国際コンクール」のプログラム
モーツァルト︓ピアノコンチェルト C-Dur K.V.467
コンクールが終了したのは夜中近くで、その後に結果が発表されました。入賞者は一週間程スイス国内でのツアーが組まれ、コンチェルトをそれぞれの市のオーケストラと共演致しました。
1961年10月 ジュネーブ国際音楽コンクール授賞式/第2位(1位なし)
ジュネーブのコンクールは、大学の廊下でR.ハウザー教授に 「リッキー、ジュネーブを受けたら?」と勧められ、
最後にコンチェルトを弾く場合は、 ご自分で作曲されたカデンツを弾いて欲しいと言われた。
運良く入賞し、その時のオーケストラは 有名なスイス・ロマンド管弦楽団だった。当時このコンクールの一次予選は、幕が張られ、 誰が中で弾いているのかわからない様にしてあった
二次予選からは有名な大きなホールで、 大勢のお客様が入っていた課題曲は沢山ある中から自由に選ぶのだが、 私は下記の曲を演奏した
J. S.Bach:平均律クラヴィーア曲集第II巻よりNo.2
W.A..Mozart:ピアノ ソナタ ニ長調 K.576
F.Chopin:練習曲 No.9 変ト長調 Op.25 “蝶々”
C.Debussy:練習曲 No.1 ハ長調
R. Schumann:ソナタ ト長調 Op.22
M.Ravel:ソナチネ
W.A.Mozart:ピアノコンチェルト C-Dur K.467
☆カデンツはR.ハウザー教授が作曲された作品コンクールでは、D.Lipattiのノクターン 嬰へ短調 作品6
“クララ・ハスキルに捧ぐ”もひくように事務局から言われ、 楽譜が送られてきて私も練習して行ったが、
どう言うわけか直前にとり止めとなったずっと眠っていたその譜面が2016年、 私のレッスン室の楽譜棚からみつかった
この曲の事を思い出した私は、D.Lipattiの伝記を読んだ
そして翌年は彼の生誕100年と言う事もわかり、 2017年5月17日(水)19時開演 浜離宮朝日ホールでの
リサイタルのプログラムに入れたD.Lipattiと同じルーマニア出身の忘れがたいピアニスト、 Clara・Haskilに捧げられた作品だった
ノクターンは3曲あるが、譜面が手に入らず、 リサイタルではこの1曲のみを演奏した
ウィーン留学時代、Haskilのコンサートや、 コンチェルトを度々聴く事ができて幸運だった魂の芸術家とも云うべきその演奏から深い感銘を受け
今も尚、私の心に残っている
1961年11月5日
N.Ö.トーンキュンストラー・オーケストラ定期コンサートメンデルスゾーン
ピアノコンチェルト g-moll Nr.1
20歳の頃
N.Ö.トーンキュンストラー管弦楽団の事務局から 定期演奏会のソリストに招かれ、
ウィーン楽友協会「黄金の間」で メンデルスゾーンのピアノコンチェルトNr.1を
メルツェンドルファー氏(ドイツ人)の指揮で演奏当時は同じ会場の「黄金の間」で 必ず3回のコンサートが行われておりました。
労働者の為、学生の為、一般の人の為数日後にウィーン近郊の都市で、もう一度同じ曲目で演奏する様に決められておりました。
私はこの後も定期演奏会へ5回も招かれました。このオーケストラは数年前から佐渡裕さんが シェフ・コンダクターをされていた。

1961年11月29日
楽友協会大ホール黄金の間
N.Ö.トーンキュンストラー・オーケストラ 「特別演奏会」 チャイコフスキー ピアノコンチェルト
指揮:K.エスターライヒャー

1962年4月
帰国記念パーティーにて、恩師 永井進先生とご挨拶している写真です。会場は日本工業倶楽部。
1962年春
NHKTVピアノのおけいこで連弾
御自宅へ練習で伺った時、恩師 永井進先生と
1963年3月28日(木) 6時30分開演 日比谷公会堂 「大野亮子・ピアノ独奏会」
マネージメント・新演奏家協会
モーツァルト:ピアノ・ソナタ ニ長調 K.V.576
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ ハ長調Op.53 「ワルトシュタイン」
尾高尚忠:ピアノ・ソナチネ
シューマン:交響的練習曲 Op.13
1963年 Jörg Demus Paul Badra Skodaと
J.Demusさん、P.B. Skodaさんと東京でご一緒
ウィーンの三羽ガラスのお二人。もう一人の方はF.Guldaさんです。
今はこの三人の素晴らしいアーティストは 残念乍らお亡くなりになりました
度々学生の頃、ウィーンでの各々の コンサートを聴き感動いたしました私が音大の学生だった頃の事ですが、 ある時、J.Demusさんからシューベルトの ピアノ五重奏曲〝鱒”の譜めくりを
「リッキー、譜めくりしてくれる」と、お頼まれされました
その楽譜に一音一音指使いが青色の万年筆で 書かれていたのには驚きました
私もそれを参考にさせて頂こうと思いお願い致しましたら、 直ぐに「いいよ!リッキー‼︎」
と言って下さり楽譜を拝借 大急ぎで譜面へ書き写し、 J.Demusさんへお返ししたのでした
今でもその楽譜で、殆どそのままの指使いで演奏してますP.B. Skodaさんからもサイン入りの御著者を頂きました
ある時、東京のオーストリア大使館でお会いしましたが、 そこで私にモーツァルトの“デュポールのメヌエットによる
9つの変奏曲”を弾くようにと言われて弾きましたら、 その時J.Demusさんもいらっしゃいまして
「リッキー‼︎、音楽的で素晴らしいモーツァルトだったよ‼︎」と お二人が褒めて下さり「リッキーへご褒美だ‼︎」と
先程の御本を下さったのでした


1965年頃
東京・千葉・大阪・福岡でウィーン八重奏団とシューベルトの「ます」のコンサート
1965年8月 ザルツブルク ニコライ・ギャウロフご夫妻とロブロ夫妻達と。
ギャウロフさんの奥様はピアニストのスラティンカさんで、一度、私のピアノを聞いてくださいました。キャウロフさんがご出演されたオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」は特に素晴らしく、印象に残っております。今でもレコードやCDを大切に持っております。
1965年夏 ザルツブルグ
モーツァルトがオペラ「魔笛」を作曲した小屋の前で
当時のウィーンフィル・ヴィオラのトップ奏者
Strengご夫妻とお嬢さんとご一緒Strengさんはウィーン八重奏団のメンバーでもあり
スイスやハンガリー 日本での演奏会で
シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」を
度々共演致しました
1966年4月楽友協会「ブラームス・ザール」でのリサイタル
F. Schubert:ソナタ ト長調 Op.78 D894 “幻想”
J.Brahms:幻想曲 Op.116
R. Schumann:幻想曲 ハ長調 Op.17幻想曲を集めた大きな長いプログラムでした
楽友協会「ブラームス・ザール」でのリサイタルはいつも満席
ステージの奥までと、2階の舞台上の奥は
私の姿が見えない場所ですが、それでも聴きたい!と
大勢の方々がご来聴下さいました
1966年4月
楽友協会ブラームスザール リサイタル

1966年秋、ウィーンフィルの友人達のご家族とハイドンの生家にて

1966年10月1日(土) 午後6時30分開演 文京公会堂
「慈善音楽会 大野亮子 ピアノ・リサイタル」
主催:東京都共同募金会 後援:上智社会事業団
シューマン:ファンタジー C-Dur
ブラームス:ファンタジー Op.116
尾高尚忠:ソナチネ
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ「悲愴」
1967年1月23日、NHK交響楽団とコンチェルトを共演
指揮・Lovro von Matačić モーツァルト c-moll K.491 NHK愛宕山スタディオにて
1969年 ムズィークフェライン「黄金の間」
N.Ö.トーン・キュンストラー・オーケストラ 定期公演
指揮:K.エッティー モーツァルト ピアノコンチェルト c-moll K.4911981年5月10日13時開演 東金高等学校体育館 「千葉県立東金高校同窓会結成70周年記念 プログラム」



1987年6月21日(日) アッツェンブルッグでのチャリティーコンサート
ウィーンの西方35km程の所にAtzenbruggと言う村がある。
シューベルトの友人で詩人であったショーバーの叔父がAtzenbrugg城の執事であった関係で、シュ一ベルトは1820年~1828年まで毎年夏をその城で過ごしたという。
庭園内の小高い山を登ると、彼がAtzenbruggertänze を作曲した小さなあずま家があった。
なだらかな起伏のある丘や、広々としたや草原に時折り牛や馬の群れが、牧草をはんでいる。
天を突くような教会の尖塔と赤い屋根の家々を眺めながら、曲がりくねったRiederbergを越えるとAtzenbrugg城に着く。
どこもかしこも平和でのんびりとした田園風景である。
この城は800年近くもの古い歴史をもつ。
年月を経て建物が大分痛み、崩れてしまったので、1970年代当時の市長が城を取りこわして別の新しいものを造ろうと云いだした。
その時、Frau Schwabという勇気ある婦人が「このシューベルトゆかりの城を守ろう」と、率先して運動をおこし、新聞等で多くの人たちに呼び掛けた。そして寄付金を集め、除々に内部の改造を始めたのだった。
1979年より沢山の演奏家がこわれた城の中て、ギャラなしのコンサートを行い、その入場料で部屋の一つ一つが新たに生まれ変わった。幾つかの部屋は立派な展示室となり、コンサート用ホールの床も美しい寄せ木が張られ、小さなステージも出来上がった。
城の右側の部分はまだがらんどうだがFrau Schwabは、「そのうち芸術家達の宿舎や公開講座などの出来る小さなホールも作りたい」と語っていた。小柄なあまり目立たない人だが、その柔和な眼と強い意思は私たちの心の中に深く刻まれた。
1987年の5月~6月、Festwochen中に、このお城で幾つかのコンサートが開かれた。
H・Preyの独唱会でオープニングを飾り、
私は6月21日(日)午後3時からの演奏会に招かれて、ウィーンの秀れた若い医師達によって作られたParacelsus Quartettと一緒に「鱒」と、ソロで二つの即興曲を演奏した。
大勢の聴衆が集まり、ホールは満席となった。
誰もがシューベルトの音楽を心から愛しているという感じで、コンサートは大変温かい雰囲気に満ちていた。
練習の時は音が響き過ぎると思ったが、人々で一杯になると、理想的な響きになった。
休憩時間には1階の廊下で、村のご婦人達が手製のケーキとコーヒーを売っていた。この売り上げも「シューベルトゆかりの城を守る会」に還元されるのだ。
また、庭には、シェーンプルンにある造園学校の生徒達の設計による「ビーダーマイヤー庭園」が出来つつあった。
図面の中の好きな木を買うと、そこに買った人の名前が書き込まれ、秋になってから植えられるのだ。大変良いアイデアである。
私も記念に、「日本・・・」という名のつく木を、一緒に行った留学生達と買った。私たちが年老いた後、またこの世に存在しなくなってからも、これらの木々は大地に根を張り、成長をし続け、Atzenbrugg城を見守ってくれるのだと思うと何とも楽しい気分になった事を、シューベルトの可愛らしいワルツを演奏し、懐かしく思った。



1988年1月22日(金) 午後6時30分開演 千葉県文化会館 大ホール
「深沢亮子と羽ばたく若いピアニスト達・新しいピアノのお披露目コンサート」
主催:千葉県文化会館



1988年10月4日、井出ご夫妻のお招きで日本のレストランにてブレンデルさんと

1989年、ベートーヴェン国際ピアノコンクールの審査員でBösendorfer社を訪問

1992年6月
国際交流基金より音楽文化使節として、天満敦子氏とともに東欧4カ国(ルーマニア、ブルガリア、チェコスロバキア)で演奏。
2003年11月29日 佐倉市民音楽ホール
共演:ブリュッセル弦楽四重奏団
2003年12月2日 コトブキ D.I.センター
深沢亮子講演会20周年コンサート
共演:ブリュッセル弦楽四重奏団Ryoko Fukasawa Piano Recital Wien
コンサートレビュー「月刊ウィーン GEKKAN-WIEN」
2018年6月
リハーサルの演奏 


ウィーンで一番古いカフェハウスの1つ
昔からカフェとして 営業してそのまま
続いて カフェとして残っているなかでは
多分一番古いとか
モーツァルトもベートーヴェンもここで
演奏したそうです
シュタイヤー市にある
「シューベルトハウス」
薄いグリーンの「シューベルトハウス」
は 「鱒」を作曲した家

上上下2枚の写真は、ドイツ ミッテンバルト市の
ヴァイオリン製作ミュージアム



2019年12月
ベーゼンドルファー・ジャパンにて 井上氏と
皆様お寒い中お元気でいらっしゃいますか
私の方はお蔭様で今年も健康に恵まれ、沢山のコンサートを無事に終える事が出来、
多くの方々に喜んで頂けましてとても幸せでした
今年最後の公の演奏は12月10日国際文化会館(六本木)での日墺協会主催「クリスマス例会」で、
ヴァイオリニストの瀬川祥子さんとモーツァルトの2曲の「ピアノとヴァイオリンのためソナタを弾きました
(ハ長調K.296、変ロ長調K.454です。私達の新しいCDは、今年5月発売になり多方面で好評を頂いております)
今年は日本とオーストリアの友好150周年でしたが、
オーストリアのH.ハイッス駐日大使も出席され、とても和やかな会でした
プログラムがモーツァルトでしたので、ベーゼンドルファーで演奏できたらと言う思いがあり、
中野坂上にあるベーゼンドルファー・ジャパンへ楽器を見に参りました
そこでコンサートチューナーの井上雅士さん、鍵盤マーケティングの天沼典子さんに大変お世話になり
又日墺協会のご理解とご協力も頂き楽しい演奏会となりましたこと感謝しております
2020年3月
ベヒシュタイン・ジャパン 会長の戸塚亮一氏と
新型コロナウィルスが世界中に拡散し、いつ終息するのか分かりませんが
少しでも早く落ち着き安心した生活が出来ます様願うばかりです
その後、皆様お元気でしょうか
この様な状況の中 どうぞくれぐれもお気をつけ下さいます様に
広いホールで大勢のお客様の入ったコンサートは当然無理かと思いますが
3月15日に赤坂ベヒシュタイン・サロンで、5月30日私のリサイタル(予定)のプログラムによる練習を
チェリストの安田謙一郎氏とさせて頂きました
お好きな方が10人弱聴きに来られましたが、ベヒシュタイン・ジャパン会長戸塚亮一氏の
〝楽器について〟の興味深いお話しもあり、和やかな会となりました
私達の本当の練習はこれからですが、一応プログラムの全部を通して弾きましたので
いろいろな事が分かり やはりこの様な練習を行って良かったと思いました
リサイタルにご来聴いただけましたら幸いです
2022年4月30日
昭和女子大学創立100周年記念式典
人見記念講堂にて「ます」を演奏
左から 黒木岩寿さん(Cb) 安達真理さん(Va)
瀬川祥子さん(Vn) 深沢亮子(Pf)
⼈⾒楷⼦さん(昭和女子大学元理事長) 笹沼樹さん(Vc)







2022年6月25日
「音楽の花束」 勝田台文化センター
左から 恵藤久美子さん(Vn) 中村静香さん(Vn/Va) 深沢亮子(Pf) 安田謙一郎さん(Vc)↑



写真提供・ミリオンコンサート協会
アンコールには「鱒」の楽章を演奏致しましたが
拍手が鳴り止まず ・・・
左から 大槻健さん(Cb) 安達真理さん(Va)
深沢亮子(Pf) 瀬川祥子さん(Vn) 笹沼樹さん(Vc)
2023年5月27日 東京文化会館
デビュー70周年記念コンサート 深沢亮子ピアノ・リサイタル
5月27日(土)午後 東京文化会館小ホールに於いて
私の「デビュー70周年記念ピアノリサイタル2023」を行い
お陰様で大変盛会のうちに終わりホッとしております
共演者の方は 瀬川祥子さん(Vn)安達真理さん(Va) 笹沼樹さん(Vc)大槻健さん(Cb)
皆さん素晴らしい才能を持った方々です
それに私達は10年位前からいろいろなコンサートで度々一緒に共演しておりましたので、
お互いに気心が知れており演奏していてとても楽しかったです
フンメルとシューベルト「鱒」 ピアノ五重奏曲と言うプログラムの組み合わせも良かったのでしょう
ここ3年間はコロナ禍で 私達も聴衆の方々も自由を奪われておりましたが
今回はお客様も解放され 明るい気持ちで楽しみ乍ら聴いて下さった事が
拍手の様子やブラーボーの声が良く分かり、会場の熱気に驚いた程でした
座席は殆ど満杯で、お客様も都内近郊の方ばかりでなく、
九州や関西、東北等からも遠方より大勢の方が御来聴下さいました
終演後は久しぶりに多くの方々にお会いでき、
「感動で涙がこぼれて止まりませんでした」と言うお言葉や、
後からお手紙等沢山頂き、私も嬉しく演奏家冥利に尽きると言う事でした
アンコールには「鱒」の4楽章を演奏しましたが拍手が鳴り止まず
私のソロで シューベルトがウィーンの郊外アンツェンブルッグのお城で作曲した
私の大好きなワルツ2曲と 「楽興の時」より一番有名なN r.3を弾かせて頂きました
まだまだ長く拍手が続き、私達は何度もステージへ上がりました
これからも元気で少しでも皆様に喜んで頂ける様な演奏が出来ます事を願っております
左から)笹沼樹さん(Vc) 瀬川祥子さん(Vn)
深沢亮子(Pf) 安達真理さん(Va) 大槻健さん(Cb)2024年9月29日(日)15時30分開演 東金文化会館 小ホール
「深沢亮子 ピアノコンサート with ストリングス」
主催:東金文化・スポーツ振興財団
プログラム
フンメル:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.87
ベートーヴェン:バガデル「エリーゼのために」イ長調 WoO 59
シューベルト:楽興の時 第3番 ヘ短調 Op.94-3 D780/3
モーツァルト:「トルコ行進曲」ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331 Mov.3
シューベルト:ピアノ五重奏曲 イ長調「鱒」Op.114 D667
こちらは練習前の写真ですが、安達まりさんのアイデアでコントラバスの⼤槻健さんのお誕⽣⽇をお祝い致しました。
コンサートは大盛会で、券も足りない程でした。



写真提供・新演コンサート




仮屋崎省吾氏の展覧会へ行って参りました